さて、考え抜いて選んだものでも、幸福感を感じたり、不幸に追いやられたりしますが、現実吟味力があれば、何とか悔いのない人生を生きる事も可能です。
青春時代にドイツの神父さんから教えられ、生涯、大切にしている聖書の言葉があります。
コリントの信徒への第1の手紙、6章19節の「知らないのですか、あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿って下さる神殿であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのです」と言う言葉です。つまり「人の身体は神の神殿」という思想です。
私の身体には愛そのものである全知全能の神様がすんでおられると確信して以来、私の人生は大きく変化しだします。どんな危険や苦悩が身辺に生じましても、この教えが私を救ってくれています。この聖書の言葉を私は、なによりも高く評価して生きてきました。
昔、イギリス、ベルファーストを旅したことがありますが、当時は爆弾事件等があり、悲劇的な場面に遭遇し、人間の哀しい歴史を垣間見ました。しかし、その爆弾事件の背景を思索していきますと、そこに何とも切なく哀しい民族の歴史がありました。
何を評価し選択して生き抜いていくかは、素晴らしい人生課題です。
ところが、もともと体力がない私です。習い事の教室でくたくたに、疲れ切ってしまいます。これ以上頑張ることができません。どの習い事もみな、1年もたたずに止めることになったのです。
8年前、北海道へ移住し、羊飼いになりました。田舎暮らしは車での移動に頼らざるを得ません。なんと私は、運動不足になってしまいました。そこで、友人と水中運動教室に参加することにしました。さらに、夫と2人で体操教室にも通うことにしました。また新しい習い事として、羊毛を使った手芸教室にも参加することにしました。
数年の歳月が流れました。私の教室通いはまだ、続いているのです。
なぜ辞めずに続けることができているのでしょう。運動教室ではコーチだけでなく、生徒である参加者全員がよくできたところを褒めてくれるのです。
「よく手が伸びているね」「姿勢が良くなったわね」「泳ぎが美しくなってるわ」そんな言葉の1つ1つが私を嬉しくさせ、やる気を起こさせるのです。
手芸教室でもそうです。
「可愛いね」「色遣いがすてきだわ」などなどです。
習い事が続く秘訣は、「がんばれ」ではなく「よくできました」の褒め言葉だったのです。