ここでは障がい者という言葉は使いません。すべて「仲間」です。わたしとしては食事の後片付けやお掃除などさせてくだされば、と思ったのですけれど。
なにもしないでただそこにいること・・・・・ それは意外に難しいのですね。なれていないから、落ち着かないのです。
世間の評価に応えるには、つねに周囲に気を配って積極的に行動しなくてはなりません。それが刷り込まれていますから、つい手が出てしまう。
あなたといっしょに作業していた時のこと、わたしが、新聞紙で袋をつくり、それを、あなたがビニールの袋にいれます。とても機嫌よくニコニコしながら・・・・。そのうち途中でひっかかって、うまく入らなくなりました。わたしはみかねて、手を出してしまいました。
とたんにするどい叫び声!。「わー、ごめんなさい」と私。そうしてだんだんわかってきました。
B子ちゃん、あなたはいつもニコニコ笑って、タンポポの花のように、きらきら、いきいきしています。わたしもなにげなくそこにいます。その「ともにいること」「ともに在ること」のたのしさ。やすらぎ 。あなたから教わったのです。深いところで、ほんとうにくつろげるの。
なんの為にとか目的とか意味とか、ややこしいことはちょっと脇においといてね!
ところで赤ちゃんが、はいはいしたり、よちよち歩きを始めたりした姿を見たりして、嬉しくなったことはありませんか。学校で友だちが、算数の掛け算がようやく出来る様になった。その姿を自分のことの様に喜ぶ...。そんな喜びのうちに過ごせればいいですね。
また小さな子どもが心を打ち明けてくれたり、摘んだお花をプレゼントしてくれたり、病気のお見舞いに行ったら、その方が逆に気遣って下さったり、これも嬉しいことですね。気遣い、心遣い、思いやり、どんな小さなものであっても、それはかけがえのないもの価値のあるもの、宝物ですね。
その様な宝物を探してゆくなら、一日の終わりに振り返ってみると、沢山の良いこと、良い人、嬉しいこと、嬉しい人に出会った大きな喜びで一杯になっているかも知れません。今まで平凡と思っていた一日が、単調と思っていた生活が変えられてゆく様に思います。
今日も1日が始まります。嬉しい宝物を探しながら過ごしてみてはいかがでしょうか?