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熊本 洋

今日の心の糧イメージ

人間、生きている限り、モノや人との出会いが必ずあり、その出会いの瞬間、瞬間、何かを感じ、無意識に、モノや人を評価しながら生きていると言えます。美しいものを目にすると、"あっ、きれい!"と思わず、声を発します。人との出会いでも、会った瞬間、第一印象が、だれにもあります。"良さそうな人だ"とか"変な人ネ"とか、直感的に評価しています。

モノも人も、無数に存在しますが、人間について言えば、1人ひとり異なった存在で、同じ人は2人いません。2人といない自分、そう考えると、大きな、そして多くの存在の中で、実に小さい存在ながら、誠に貴重な自分自身であります。一方、モノについて考えるため、辞書をみますと、「形のある物体をはじめとして、存在を感じ、知ることのできる対象」という定義の後「仏・神・鬼・魂など、霊妙な作用をもたらす存在」という定義がみられます。つまり、モノとは、目に見える物体に限らず、見えないものもあり、人間はその存在を感じ知る能力を持っていることも教えてくれています。

目に見えない霊妙な作用をもたらす存在を探知できる人間もまた、霊妙な存在、褒め称えないではおられません。「霊妙な作用をもたらす存在」とは何か、この興味ある課題をそれぞれが探求し、紛争続く21世紀に、なんとか平和と安心をもたらしたいものであります。

「愛は、私たちのすべての行いの完成です。そこに私たちの目的があり、私たちは愛に駆られて、愛を目指して走ります。その愛に到達すれば、その中で憩うでしょう」とは、古代キリスト教の神学者、聖アウグスチヌスの言葉です。

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阿南 孝也

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イエス様の十字架の両側に犯罪人がいました。(参:ルカ23・39~43)1人はイエス様をののしりました。もう1人はそれをたしなめて、謙虚な心を示しました。イエス様は彼に「今日私と一緒に楽園にいる」と言ってくださったのです。

悪代官を懲らしめる時代劇は、分かりやすく、ストレス解消に効果的です。でも本当は、善人悪人の両面を持ち合わせている、それが人間なのではないでしょうか。2人の犯罪人の運命は、文字通り天と地の差となりました。私は、どちらにもなり得ると考えて聖書を読むことにしています。

2人の発言だけを取り出してみましょう。

「自分自身と我々を救ってみろ」と「私を思い出してください」と訳されています。でも英語では、どちらも同じ命令形が使われています。そこで、悪い犯罪人の言葉も敬語を用いて訳してみますと、

「ご自身と私たちを救ってください」となるのです。これで天国と地獄の差となるのは、なぜなのでしょうか。

むしろ、良い犯罪人の「私を思い出して」よりも「私たちを」と言っている点は評価してもよいくらいです。いけないとすれば、「救ってください」と、イエス様に指図していることかもしれません。私たちは、この悪い犯罪人のように、こうしてください、ああしてくださいと、神様に命令するような祈りをしていないか、反省する必要があると思うのです。良い犯罪人の「思い出してください」という謙虚な姿勢が必要なのです。

「病気が治りますように」や「合格できますように」などの、お願いの祈りをするときは、その後に、ゲッセマニでのイエス様の祈りをお手本にして、必ず「しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」(ルカ22・42)と唱えるよう、心掛けたいと思います。


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