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服部 剛

今日の心の糧イメージ

その日、花冷えの天候に少し震えた私は熱を出し、夜は早めに床に入りました。

眠りかけた頃、妻の叫び声で目を覚ますと、裸のダウン症児の息子・周ちゃんに、妻は必死で人工呼吸をしていました。救急車を呼んだ私も、妻に代わって人工呼吸を続けました。介護が必要な同居の父を気にした妻が少し風呂場から離れた間に、息子が湯舟に落ち、溺れてしまったのです。

救急車で病院へ運ばれた息子は集中治療室に入り、人工呼吸器をつけて3日間眠ることになりました。息子がどうなるかわからない不安の中で、私は病院ロビーの暗がりで泣き崩れる妻の姿を見て、最悪の事態を想定しました。普段は妻に助けられてばかりで頭の上がらない私も、消え入りそうなほど小さくなった妻の肩に手を乗せると、「周ちゃんの生命力を信じよう、一緒に闘おう」と、声をふり絞りました。

夜は明け、妻と私は思いつくまま日頃助けていただいている人々に、電話やメールで「お祈りをお願いします!」と頼みました。何もしてあげられない親としては、人々のお祈りにすがることしかなかったのでした。皆さんのお祈りの輪に支えられながら、病院の医療チームの懸命の尽力により、息子は後遺症もなく、3週間後には退院のメドがつくまでに快復しました。

ほっとしたのも束の間、今度は妻の父が肺炎を起こし、別の病院の集中治療室に運ばれました。私と妻は駆けつけてくれた親族や友人の方々と最善の治療の選択を模索しながら、お互いの絆が育まれてゆくのを感じました。

一命を取り留めた父親の面会を終え、息子の面会へと向かう夕暮れ時、「凸凹夫婦の僕等も、この1ヶ月は頑張ったよね...」と呟く私に、妻は静かに顔を向け、頷きました。

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森田 直樹 神父

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今から40年以上も前になりますが、私が小学一年生の時、担任の先生は、テストの点数欄に100点しかつけませんでした。

答えがあっているところには、丸印がついていますが、答えが間違っていると、そこにバツ印もつけず、点数欄も空欄のままで返ってきます。そして、間違ったところを正しく直して先生の所に持っていくと、間違ったところに丸印をつけてもらい、100という数字も丸で囲って点数をくれていました。

つまり、いつも100点のテストだったわけです。だから、言うまでもなく、テストはいつも楽しみで、100点の答案用紙が嬉しかったのを覚えています。

聖書によれば、「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1・31)と伝えています。言い換えれば、私たち1人1人は100点満点の存在として造られているのです。

ところが、日々の生活の中で、お互いにいがみあったり、相手を見下したり、相手の存在を無視したりすることによって、100点満点であるはずの存在を傷つけ、また同時に、存在が傷つけられてしまいます。

毎日の人間関係で傷つき、傷つけられている私たちに対して、イエスは力強い言葉を私たちに向けています。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と。(マタイ28・20)

イエスご自身がいつも私たちを励ましてくださいます。1人1人がお互いに大切にしあって、いつも優しい心をもって、100点満点の存在であり続けることができるように、と。

すべてのものと共に人間をお造りになった神様の目には、私たちに対して、100点満点の評価しかありません。イエスの言葉に支えられ、助けられて、お互いにいたわりあい、助け合う生き方へと1人1人は招かれているのです。


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