2017年10月14日の心の糧

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今井 美沙子

今日の心の糧イメージ 21、2歳の頃、ある文学誌の賞の最終審査に残ったことがあった。

若い私は自分の実力もかえりみず、ひょっとしたら賞をもらえるかもしれないと期待に胸をふくらませた。

しかし、賞はいただけなかった。

そのとき、五島の父のいったことばを、50年も前のことなのに、私はよく覚えている。

「なんの、ミンコよい。神さまが決めることじゃのうて、人間が決めることじゃけん。そのうち、神さまがミンコの書く力ば認めてくれたら、人間どんも認めてくれるとたいね」

自分の娘に文学的な才能があるのかどうだかわからないのに、そういって慰めてくれた。「そうか」と私は納得した。

神さまが時期が早いと判断したのだなあと。

それ以来、何があっても、神さまがそうされたのだと思うことが出来、気持ちが楽であった。

息子が高校受験の折、第一志望の高校に受からなかった。息子は嘆き悲しんだが、私は息子にいった。

「あそこの高校はあんたに向かんかったんやわ。あんたが入れた高校が1番、あんたに向いてると思う。お母さんは神さまに、息子に1番向いてる高校に合格させてくださいといって祈ってたから。」

息子は別の高校に合格し、機嫌良く通った。

「おかあさん、あそこ、落ちててよかったわ。秀才ばっかりやから、ぼく入ってても劣等感感じてたかわからへんからね」と息子なりに納得したようだった。

競争社会で相対評価が当り前のようになっているが、私は相対評価は好きではない。

人間が人間をどう評価できるのかといつも疑問に思う。神さまが評価してくれると思うと気持ちが大きくなり、楽に生きていける。

2017年10月13日の心の糧

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黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ ワーッ!おいしいなーこのラーメン!とか、うーん、うんうん!おいしいよー、この肉!とか。

この、ワーッとか、うーんに私たちの単なる知識を超えた、全存在を挙げての評価が現れていると言えます。

また、日本人として、大抵の人にはよく分かる、あの温泉に入ってリラックスした時に思わず出てくるあの言葉、「極楽極楽」!ハハハ・・。あれは最近では外国人観光客も言う人がいるらしいですし、クリスチャンであっても、「天国天国」と言うのでは感じが出ないので、やはり「極楽」らしいです。

 

ところで、私達が聖書を開いてみると、その度に胸を貫かれるような思いをする事と思います。そこで試みに、私は聖書を開いてみました。今、私の目の前にあるページにはこう記されています。(参:ルカ6・20~38)

「貧しい人々は幸いである」。これだけで極楽気分は吹っ飛んでしまいます。また読み進んでいくと「あなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」とあります。

「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか」などを読むと、私は何だかシュンとしてしまって思わず「主よ、お言葉ですが、私はやっぱり、私を愛してくれる人はすごく好きなのですが・・」と訴えました。

すると主は、それは「当然、それでいいのだよ、それも神の恵みなのだから。しかし先も読んでごらん」とおっしゃるので、ページをめくってみました。

人を裁くな、赦しなさい、そして「与えなさい」のところがダイナミックですねー。

与えれば「あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、溢れるほどに量りをよくして懐に入れてもらえる」。押し入れ、揺すり入れって、なるほど、これが神の量りか。


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