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黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

ワーッ!おいしいなーこのラーメン!とか、うーん、うんうん!おいしいよー、この肉!とか。

この、ワーッとか、うーんに私たちの単なる知識を超えた、全存在を挙げての評価が現れていると言えます。

また、日本人として、大抵の人にはよく分かる、あの温泉に入ってリラックスした時に思わず出てくるあの言葉、「極楽極楽」!ハハハ・・。あれは最近では外国人観光客も言う人がいるらしいですし、クリスチャンであっても、「天国天国」と言うのでは感じが出ないので、やはり「極楽」らしいです。

 

ところで、私達が聖書を開いてみると、その度に胸を貫かれるような思いをする事と思います。そこで試みに、私は聖書を開いてみました。今、私の目の前にあるページにはこう記されています。(参:ルカ6・20~38)

「貧しい人々は幸いである」。これだけで極楽気分は吹っ飛んでしまいます。また読み進んでいくと「あなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」とあります。

「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか」などを読むと、私は何だかシュンとしてしまって思わず「主よ、お言葉ですが、私はやっぱり、私を愛してくれる人はすごく好きなのですが・・」と訴えました。

すると主は、それは「当然、それでいいのだよ、それも神の恵みなのだから。しかし先も読んでごらん」とおっしゃるので、ページをめくってみました。

人を裁くな、赦しなさい、そして「与えなさい」のところがダイナミックですねー。

与えれば「あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、溢れるほどに量りをよくして懐に入れてもらえる」。押し入れ、揺すり入れって、なるほど、これが神の量りか。

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遠山 満 神父

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通知表であれ、その他の評価であれ、他者からの評価を受けることは、時としてとても辛いことです。それと共に良いこともあります。それは自分の今の立ち位置を、ある程度確認できるからです。目標との関連で、今、自分はどのくらい到達しているのか、その現実を知ることは大切なことです。と同時に、それで自分の価値が全て決まるわけではないということを心に留めておくことも必要です。様々な人間的な評価は、私達の一部を評価するものであり、私達の全体を、完全な形で評価しうるものではないからです。

完全な形での評価は、ただ神様だけに可能です。その神様は、次のように言われます。

「私の思いはあなた達の思いと異なり、私の道はあなた達の道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道はあなた達の道を、私の思いはあなた達の思いを高く超えている」。(イザヤ書55・8~9)この神様の言葉は、神殿に上った2人の人に対するイエス様の言葉でより明らかになります。(参:ルカ18・9~14)

1人はファリサイ派の人で、もう1人は徴税人でした。ファリサイ派の人は、徴税人を見下しながら、神様の前で自分のことを誇らしげに語ります。一方の徴税人は、「神様、罪人の私を憐れんで下さい」と祈ります。イエス様は、「義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。誰でも高ぶる者は低くされ、遜る者は高められる」とおっしゃいました。徴税人の方が自らの真実を認識していたからです。

私達も、誰かから高い評価を受けた時、神様に栄光がありますように、また逆の時、自己嫌悪に陥ることなく再度立ち上がれますように祈りましょう。


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