「なんの、ミンコよい。神さまが決めることじゃのうて、人間が決めることじゃけん。そのうち、神さまがミンコの書く力ば認めてくれたら、人間どんも認めてくれるとたいね」
自分の娘に文学的な才能があるのかどうだかわからないのに、そういって慰めてくれた。「そうか」と私は納得した。
神さまが時期が早いと判断したのだなあと。
それ以来、何があっても、神さまがそうされたのだと思うことが出来、気持ちが楽であった。
息子が高校受験の折、第一志望の高校に受からなかった。息子は嘆き悲しんだが、私は息子にいった。
「あそこの高校はあんたに向かんかったんやわ。あんたが入れた高校が1番、あんたに向いてると思う。お母さんは神さまに、息子に1番向いてる高校に合格させてくださいといって祈ってたから。」
息子は別の高校に合格し、機嫌良く通った。
「おかあさん、あそこ、落ちててよかったわ。秀才ばっかりやから、ぼく入ってても劣等感感じてたかわからへんからね」と息子なりに納得したようだった。
競争社会で相対評価が当り前のようになっているが、私は相対評価は好きではない。
人間が人間をどう評価できるのかといつも疑問に思う。神さまが評価してくれると思うと気持ちが大きくなり、楽に生きていける。