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年を重ねる

服部 剛

今日の心の糧イメージ

幼年期や思春期の自分を思い起こすとき、自分であって自分でないような、不思議な感覚になります。振り返った背後には、長い長い自分の足跡が数珠のように連なり、現在の自分の立っている地点までつながっていることを思うと、〈幾度も転んでは立ち上がり、我ながらよくぞここまで歩いてきたものだ...〉と、しみじみ感慨に浸ることがあります。

日本人には「恥の文化」というものがあり、自分を褒めることはあまり得意ではないかもしれません。ですが、時には、鏡に映る自分の顔や、仕事帰りの電車で、疲れて座る自分の姿に、〈よくがんばっているね〉と心の声で自ら語りかけると、不思議な優しさに包まれるかもしれません。そんな密かな囁きは、目には見えない慈しみに澄んだ「同伴者イエス」のまなざしや声に、重なるでしょう。

私は現在、41歳です。「40にして惑わず」とはいきませんが、特に惑いや悩みの多かった10代、20代の頃には、〈あのとき、あの場面で、あのようにすればよかった〉と思うことがたくさんありました。しかし、40歳になったとき、この若い時代の葛藤が確かな土台となり、これまでの経験を生かすためのスタートラインに立ったのだ、と感じることができました。きっと人は、それぞれの失敗や反省の体験を繰り返しながら、らせん階段をゆっくり上ってゆくように成長し、創造的に進化をしてゆくものだ、と信じます。

もし、タイムマシンがあったなら、私は思春期の自分に会いにゆき、そっと風の声で囁きたいのです。不安げにうつむいて夜道を散歩するあの頃の青年に、〈辛いね。でも大丈夫、人生捨てたもんじゃない。あきらめなければ、君の未来は明るいよ〉とーー。