私に洗礼を授けて下さった神父様が、叙階50周年のお祝いの席で、「今、人生の黄昏を迎えています」と挨拶されました。それに対して、この神父様より少し若い神父様が、「永遠の命から見れば、神父様は、今、曙を迎えようとしておられます」と祝辞を述べられました。お祝いの会の最後の時、今度は先の神父様が、「確かに私は、永遠の命から見れば、曙を迎えようとしているのだと思います」としみじみと語られました。
フランシスコ・ザビエルも、この神父様方のような考えを抱いていました。それは、彼の友人であった忍室という僧侶との対話から明らかです。2人の対話は、大まかには次のようなものです。
ザビエルが忍室に尋ねました。「若い事と年老いている事、どちらが良いですか」。忍室は、「若い事」と答えました。続けてザビエルは尋ねました。「それでは、船が目的の港に近づいている時とまだ遠く離れて波に翻弄されている時と、どちらが良いですか」。忍室は、「目的の港に近づいている時」と答えました。これに対してザビエルは、「それなら、人生の目的の港に近づいている老年の方が良いのではないでしょうか」と尋ねました。忍室は、この問いに、「実は自分はまだ、目的の港がどちらなのか知らないのです」と答えたのだそうです。
高齢になると、希望を失いがちですが、ザビエルのように考えれば、私達は何時までも生き生きとした人生を過ごせるのかもしれません。