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年を重ねる

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

私は、司祭に叙階された後、修道会で祈りを中心とした生活を15年ほどしました。そして、20年前に町の教会の神父として働くことになりました。ところが、時々修道会時代の生活を思い出します。特にその修道生活の1年目、修練期と言われる修業の期間を思い出すのです。

規則正しいスケジュール、夕方の1時間の黙想の時、午前中の個室での聖書などの読書の時間、午後の作業の時間、金曜日にあった断食登山、その平坦で淡々とした何も行事のない時の流れを思い出すのです。その退屈な時の流れの中、何も変わらなく、成長も見えない自分にいらいらした感情も思い出します。

そんな時、上司は私にこう言いました。「この1年は貴重ですよ、きっとあなたの人生の土台となりますよ」と。「それは嘘でしょう。こんな淡々として何もないような時間が、大切な時間になるなんて」と私は思っていました。1日1日の見えない積み重ねに重きを置けなかったのです。

1年が過ぎ、晴れて修業が終わり、普通の生活に戻った時、私はまた、日常の忙しい時の流れに浸かりました。すると、世の中の見え方が少し違って見えてきたのです。何もない1年の体験は、何らかの動きのある世界を見つめる時、不思議な脈動感に満たされていることに気が付いたのです。世界が生きている。この体験は、自分も生きているという体験に繋がりました。いや、生かされていると言った表現の方が良いのかもしれません。

もうそれから35年、さすがにその生き生きとした体験は、次第に薄れています。しかし、ゆったりとした時を、思いを込めて過ごすことの大切さは、現在の経験を深める中で、年を重ねる毎に確信を深めています。