そんな時、上司は私にこう言いました。「この1年は貴重ですよ、きっとあなたの人生の土台となりますよ」と。「それは嘘でしょう。こんな淡々として何もないような時間が、大切な時間になるなんて」と私は思っていました。1日1日の見えない積み重ねに重きを置けなかったのです。
1年が過ぎ、晴れて修業が終わり、普通の生活に戻った時、私はまた、日常の忙しい時の流れに浸かりました。すると、世の中の見え方が少し違って見えてきたのです。何もない1年の体験は、何らかの動きのある世界を見つめる時、不思議な脈動感に満たされていることに気が付いたのです。世界が生きている。この体験は、自分も生きているという体験に繋がりました。いや、生かされていると言った表現の方が良いのかもしれません。
もうそれから35年、さすがにその生き生きとした体験は、次第に薄れています。しかし、ゆったりとした時を、思いを込めて過ごすことの大切さは、現在の経験を深める中で、年を重ねる毎に確信を深めています。