あの当時、あの祈りを聴き遂げて下さったら、今、非常に困る事が沢山あるからです。今にして思えば、神様が実現してくださらなかったことを感謝しているのです。
例えば「心理療法の勉強が厳しくてもうダメだ、止めさせて下さい」とか、「あの綺麗なアメリカ娘と結婚させて下さい」とお祈りを捧げたりしました。現在の心理療法という職業は私の生命そのものになっていますし、そのお嬢さんは、恐ろしい事件に関わっていた事が後で判明しました。
「求めよ。さらば与えられん」なんて嘘ではないかとぶつぶつ文句を言った私が恥ずかしく感じます。弱い私はこれからも遠慮なく神様にお願いをするつもりですが、最近は、神様が私に願いを叶えて下さる時があることを経験で知る事が出来ました。「私の願いの時」と「神様が叶えて下さる時」が違う事を知りました。この「時の違い」はどうも神様の愛が原因のようです。