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時を待つ

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

「時を待つ」と云う考え方が私を救った事もあれば、待ったばかりに大失敗したこともあります。

今、行動に移すべきか、或いは待つべきか、その選択肢に迷うのが人生のようですが、この考え方は人の知恵と努力を削り取る場合もあります。重い病気の回復は時が必要ですし、倒産による失業時の次なる職業選択は、貯金通帳の金額いかんで決めなければなりません。

さて人生は色々の夢がないと面白くありません。真剣な夢ほど、その実現の時が気になりますが、私は不思議な現象を沢山体験しました。夢が実現しますようにと気楽に神様に祈る習慣が私にあります。神様は中々、その夢を実現させてくれませんでしたが、数十年単位で過去を振り返りますと、神様がその当時、その夢を実現させてくださらなかった理由が明確化されてきました。

あの当時、あの祈りを聴き遂げて下さったら、今、非常に困る事が沢山あるからです。今にして思えば、神様が実現してくださらなかったことを感謝しているのです。

例えば「心理療法の勉強が厳しくてもうダメだ、止めさせて下さい」とか、「あの綺麗なアメリカ娘と結婚させて下さい」とお祈りを捧げたりしました。現在の心理療法という職業は私の生命そのものになっていますし、そのお嬢さんは、恐ろしい事件に関わっていた事が後で判明しました。

「求めよ。さらば与えられん」なんて嘘ではないかとぶつぶつ文句を言った私が恥ずかしく感じます。弱い私はこれからも遠慮なく神様にお願いをするつもりですが、最近は、神様が私に願いを叶えて下さる時があることを経験で知る事が出来ました。「私の願いの時」と「神様が叶えて下さる時」が違う事を知りました。この「時の違い」はどうも神様の愛が原因のようです。