しかし、このたとえ話は、何事も試練として受けとめ、試練を乗り越えることで学び、チャンスを生み育てていける人こそ、まさに目を覚ましている人なのだとしています。
この「10人の乙女」の話を初めて聞いたのは、日曜学校で小学生の時でした。「油を分けて」と頼む愚かな乙女に対し、即座に「分けられない」と拒絶するのは賢い乙女らしくない、賢いなら工夫して灯りを小さくし、油を分けて何とか共に持たせることも出来るのではと考えたり、"目を覚まして"のところで、両方の乙女共皆、眠気がさして寝てしまったのにとか、到着が遅れた花婿に責任があるなど、その時、子供達は自由に発言しました。
先生は何も解説なさらないまま、一言「皆さん、大切な所を飛ばしてはいませんか。天の国は、次のようにたとえられるという最初の所です。大人になるまでくり返し思い出し考えてください。」とおっしゃったのです。
やがて花婿こそが天の定めた時であると理解し、油の用意は各々本人でなければ出来ないことを自覚しました。
今日生かされていることに感謝し、1日を充分に成すべきことをはたしていき、天の国を信頼し時を待つことが出来れば、何の恐れも憂いも無く人生を全う出来るはずです。