先取りする

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

言葉には、いろいろな反応があります。「先取り!」というと、「図々しい!」「おこがましい!」「やめてくれ!」というネガティブな言葉が出て来そうですが、これが「時代先取り」という言葉になりますと、途端、「先取り」の意味合いは、ポジティブになり、日進月歩に絶対不可決な肯定的な言葉となります。

カルタ取りは「先取り」の典型的遊びと言えますが、ゲームやスポーツの世界では「先取り」は、絶対必要要件、これなくしては、勝負になりません。それに、勝負事では、年齢も重要視され、若いほど、評価は高くなります。最近、各界に、それぞれ卓越した若い人が輩出、その世界の最長老や大先輩の記録を破った事例が、あちこちに、みられます。

かたやビジネスの世界では、「先取り」が 必ず成功するとは限らず、後発に、追い越されるケースも少なくないようです。事業では、「先取り」のタイミングが重要で、慎重さを必要とします。

ところで、全く次元の異なる話ですが、人間の人格形成について「大器晩成」という言葉があります。「大器晩成」について、辞書は、「鐘や鼎のような大きな器は簡単には出来上がらない。人も、大人物は、才能の表れるのは遅いが、徐々に大成するものである」と説明しています。また、聖書には、「後の者が先になり、先の者が後になるであろう」(マタイ20・16)という言葉がみられます。これは、天の国は「年功序列」ではなく、後から救われた人たちも、先に救われた人たちと同じ祝福が与えられると説いているのですが、人生、常に悔悛の情を失わず、大器晩成を期したいものであります。

先取りする

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

幸せを先取りしたいと思えば、まず幸せになること、と答えるのですが、理屈を言っているようで嫌なのです。しかし、幸せというのは、「棚から牡丹餅」というわけにはいきません。

「マタイ福音書」にある山上の説教の中で、主イエスは、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(5・9)と言われました。平和は黙って座っていて、与えられるものではありません。また、「平和、平和」と口に出していれば、訪れるというようなものでもありません。平和でありたければ、平和を作らなければなりません。つまり、平和を創造することです。どういうことかというと、仲違いしている人と握手し、一緒に平和な共同体を創るよう、共に努力することではないでしょうか。それは小さなグループで始まります。

同じように、幸せでありたければ、幸せになったつもりで語り、行動することです。わたしは、こういうことを自分のキリスト教グループで、説教するだけでなく、自ら率先して実行し、お互いに実践しあうことができるようにしています。たとえば、バレンタインデーの日が来ると、何人かの人は先生にチョコレートをプレゼントします。わたしはチョコが食べられないので、他の日に他の人に、そのチョコをプレゼントします。そして、クラスの皆さんには別の日に、独自にクッキーをプレゼントして、フィクションを交えながら、聖バレンティーノが貧しくて困っている人々に、彼らのプライドや気品を損なわないように、上手に贈り物をした物語りをして、「愛は与える」ことだというふうに締めくくります。

「善は急げ」という言葉が好きなわたしは、「先取り」をそのように解し、努めてきたつもりです。


前の2件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13