そして私は夫が病床で語った天国の話を想い出しました。
夫は金属材料の新しい研究に命を燃やし、癌告知を受けても病室からスタッフと研究を続け、死ぬ一週間前にその成果を記者発表して微笑みながら天に召されました。
その少し前、夫は現在の心境を4人の子どもたちに語ったのです。
「・・今まで仕事で忙しくて天国とか地獄など考えたこともなかったけれど、案外、現世と入り交じっているのかも知れないと想うようになった。例えば山にたなびく春霞が麓まで降りて山里を包むように、天国も現実の生活に入り込むことがあるようだ。苦しい闘病の毎日でも、ふっと天国にいるような平安な気持ちを味わうことがあるんだよ・・・」そして葬儀のことなどを具体的に子どもたちに指示しました。淡々と明るくこんなことを話し合うなんて信じられない思いでしたが、この時、私たちは天国にいるような透明で明るい平和な空気に包まれていました。まるで天国の幸せを味わわせていただいたような気がします。
日常的にもロザリオを唱えながら散歩する時、心配事で重苦しい心も軽やかに癒やされて元気になるのです。
神を信じてみ旨のままに・・・と委ねることの素晴らしさをあらためて想います。
デザートには予想通りりんごが出て来て、私は皮を剥いた。するとご家族の口からなぜか「あ・・あ・・あ・・」という悲しげな声がもれてくる。二切れ分の皮を粉々に削ったところで私は力が尽きた。「ちょっとお手洗いに行って参ります」と言って席をはずし、気合を入れて戻った時には、りんごはきれいに剥かれ、お皿に盛られていた。
未来を予測するだけでは足りない、その未来で発揮できる実力が必要なのだ。その日私は自分の心も手も未熟であることをひしひしと感じた。何といっても、付け焼き刃の技術で料理上手に見せかけようとしたのだから。結婚後、沢山のりんごをきれいに剥いたが、最初のこの一個が忘れられない。