その言葉の意味がわかってきたのは、私が神父生活を続ける経験の中からでした。生活にどのようにメリハリを付ければ良いか、何に注目して物事を見れば良いか、人と出会う時どこを見れば良いのか、子供達とどのように接していくのか、こういったことを、稲田神父さんと共に生活することで、最初の教会体験として自然に学んでいったようです。
毎晩9時に、必ず稲田神父さんは食堂で待っていてくれます。そしてお酒を片手に、11時頃まで、稲田神父さんの体験談が語られ、私はそれを楽しみにしていました。その一つ一つが今の私を形作っていたことに、時を経た今、びっくりしています。そこで話された内容に、稲田神父さんの精魂が込められていたことに、気付くことも良くありました。
稲田神父さんは、「私が最初の教会体験から学んだこと、それがあるから今君にこうして話しているんだよ」と語り、その体験は、30年も経った私に消化され、私も後輩達に、同じような人生の悟りを、生活を通して伝えている訳です。
それを見越したイエスの心が、私にも伝わっているのかもしれません。
原子力発電の是非も意見の分かれるところでしょう。ただし、推進派、反対派に関わらず取り組まなければならない深刻な問題、それはこれまでの40年間に排出された核廃棄物の処理です。保管場所も決まっていません。また放射線量が安全値に達するまで、何と10万年間も隔離し保管し続けなければならないのです。キリスト誕生から現代まで2千年間の50倍と言われても想像のつかない長さです。はるか未来の子孫にまで、負の遺産を押し付けてしまったことを申し訳なく思っています。さらに私たちは、地球が数億年かけて蓄えてきた石油資源を、産業革命以降のわずか200年間で使い切ろうとしているのです。
「地球上のすべてのものは、未来の子どもたちからの預かり物です。良い状態で引き継がなければなりません」というアフリカのことわざに耳を傾けたいと思います。
物の豊かさや便利さではなくて、身の丈に合った、心豊かな暮らしを求めて、地球という星と共存していくことができますように、心からそう願っています。