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先取りする

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

身辺におきる現象を解釈する時、「この世は地獄だ」と嘆く人もいれば、「この世は天国だ」と考える人もいます。

考え方、解釈いかんで、このように分かれていきます。

昔、イギリスで勉強していた時、恩師が「君たちは勉強を地獄だというが、或る神学者の、『人類は、この一見、厳しそうな現世に生きているが、すでに永遠の命に生きている、天国を先取りしている』という考えかたを、知っているかね」と質問してきました。

アフリカからきた青年や、インド、中国、日本、イギリス、フランス、南米、それら各地から来た青年が語り合ううちに、喧嘩状態となって収拾がきかなくなり、この続きは今晩のワインパーティーでやろう、ということで円く納まりました。その夜のワインパーティーは実に楽しく、そして、生涯の思い出となりました。何故かと言いますと、それ以来私は、どんなに厳しく切なく苦しい出来事に遭遇しましても、これは神様からの試練だ、と解釈できるようになったからです。

この出来事から50年も経過していますが、当時の解釈は変わっていません。洗礼は高校時代に受けたのですが、今から思うに数年は「神は愛なり」という大事な教えを相当疑っていて、今でも時々、世界各地の難民問題に触れると「神様は何をしているの」と思います。

しかし私自身の人生を顧みますと、恩師の言われた通り、この厳しい現実の中で、すでに永遠の命を先取りしているようです。日々、愚かな事をしたり、失敗の連続ですが、この挫折感を含め、全てが愛である全知全能の神様からの試練だと解釈しますと、何故か、私の心は平安になります。この地上生活で複雑な想いを体験はしていますが、どうも信仰の賜物ゆえに、私は天国を先取りして生かされているようです。