しかし、新約聖書がギリシャ語で書かれたことにより、キリスト教は東地中海の世界に広がっていき、さらにはローマ帝国の宗教となる。ローカルな民族宗教ではなく、普遍的な世界宗教となるのである。もし新約聖書がヘブライ語で書かれていたならば、イスラエルの民族宗教の枠を抜け出せなかったのではないか、今のように世界にあまねく広がっていくことはなかったのでは、と思わせる。
このことについては、新約聖書を書こうとしたときに、先を見通し、未来を先取りした知恵者がいたことを示している。新約聖書の中で一番最初に書かれたのは、イエスの教えや生き方を書いた四つの福音書ではなく、パウロの手紙であるから、その知恵者はやはりパウロなのだろうか。あるいは、パウロ個人ではなく、初代教会全体で一致していたのか、あるいは教会がいうように、聖書は神の言葉であるから神や聖霊の導きがあってそうなったのか、興味・関心の種が尽きない。