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愛の実践

末盛 千枝子

今日の心の糧イメージ

愛の実践という言葉は、実に大事なことだと思います。でも本当のところ、時にはとても難しいこともあるのだと思います。特に、自分が、友人の言動にひどく傷ついてしまっていて、しかも、その傷を与えた本人はそのことを意識していないのに、その人はその人で何か別なことで本当に困っているようなとき、それでも、その人に対して、手を差し伸べることを神様はお望みだろうと思うようなとき、本当に難しいと思います。手を差し伸べるのがとても難しいのです。神様がお望みだとはわかっているのですが、さっと手を差し伸べられない自分の弱さを痛感します。人を許せないということは、本当に辛いことです。

きっと、そういう時には、聖霊に祈ることによって、どうしたら良いか、道が示されるのだと思います。聖霊は人と人との絆を回復させるものだと信じるからです。どうしたら良いのか、聖霊の導きに任せるしかないと思いいたるまで、弱い私たちはもんもんとしてしまうのです。でも、きっと、すべてに時がある、というのですから、いつ、どうすれば良いのか、サインが与えられると信じます。

いつか、お年を召した、とても厳しい神父様が日曜日のミサのお説教でお話しされたことが忘れられません。

いくら夫が悪かったとしても、妻は恨みを抱いたままでは、絶対に天国に行かれません、と言われたのです。あのお説教を聞いてからもう20年ぐらいたちますが、あのときの衝撃は忘れられません。あのお話をなさってから、ほどなく、その方は主任司祭のまま亡くなられ、お別れの時、祭服をお召しのままお棺に横たわっておられました。神様の仕事を見事に成し遂げられたのだと思いました。