また、聖書の最後の書であるヨハネの黙示録にも、イザヤと同じ書き方で、こう記しています。「その後、私が見ていると・・玉座に座っておられる方がおられ・・・その周りにそれぞれ六つの翼をもった四つの生き物がいた。彼らは昼も夜も絶え間なく言い続けた。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能の神なる主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方」と。(参:4・1~8)
天使たちが賛美し続けるほど、神の聖性は神の無限の属性でしょう。私達も洗礼によって、その聖性に与っていますが、神様の恵みと私達自身の気遣いで補わなければならないでしょう。
しかし、神なら、その聖性、その愛と憐みに限度はありません。そして全能の神として、「かつておられ、今おられ、やがて来られる方」ということは私たちの過去・現在・未来の一切に関わって下さる方なのです。
私も天の国へ行けば、魂も絶え入るほどの喜びから、「聖なるかなー」と歌うと思います。その時、この地上で、ベートーベンやマーラーを演奏してきた事は、その"聖なるかな"の先取り練習にもなっているのではないかと思うのです。