罪の状態にある時、人は良心に痛みを感じ悲しみや憤りを覚えます。その痛みや悲しみを拭い去ろうと、酒や薬におぼれてみたり、快楽の奴隷になったりします。しかし、感覚がマヒすることで一時的に忘れることができても、罪自体を拭い消すことができず、本質的な痛みや悲しみはいつまでも残ります。そして、永遠の幸福を得る権利をなくしてしまうこともあるのです。
罪がゆるされるには、おかした罪を悔い改めなければなりません。
神さまは、私たちの悔い改める心を決して軽んずることはありません。
「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9・13)
神であるキリストは、私たちの罪をゆるし、天国への門を開くためにこの世に来られた方ですから。そうして、私たちを天国の永遠の幸福に導きいれたいと考えておられます。
カトリック信者の私は、本当の幸福を得るための道は、洗礼を受けて神様に立ち戻ることだと信じています。
洗礼によって、それまでのすべての罪がゆるされ、洗礼後におかした罪は、ゆるしの秘跡によってゆるされます。
そうして迷った羊、放蕩息子である私たちは、恩恵とともに喜びを取りもどすことができます。
その喜びは、天国で神さまと共にある永遠の幸福につながっていくものなのです。