けれど実際には、ある程度先取りする努力をしなければ私たちは生きていけません。
たとえばイエスは、何を食べようかなどと悩まずに神様にお任せしなさいと教えておられます。でも、それを文字通り実行して買い物にも行かず、料理もしないで誰かが食事を届けてくれるのを待つことはできません。イエスの時代は特に、男性は女性に食事を作ってもらっていたと思われます。だから男性のイエスは、女性よりも暮らしの悩みから遠かったかもしれません。そのため食事は悩みのうちに入らなかったのでしょう。
これに対し、女性として家族の食事を管理していた聖母マリアが明日のパンの心配をしなかったとは、私には思えないのです。
では、先を急ぐなというイエスの教えは何を意味するのでしょう。
私には、それは「悩みすぎに注意」と読めます。危機管理ゼロというのはいつの時代にもナンセンス、ですが危機管理には限界があり、100%先取りはできない。その場合は、悩むのを止めて腹をくくるしかないのです。
イエスの教えは、明日について悩むなと言いながら、実はそうした「悩みの向こう」まで見通した「先取り」そのものに思えるのでした。