イエスは、御自分の死を前にして、一番親しい、愛する弟子たちと共に食卓を囲み、御自分の最も大切な遺言をのこしました。絵画でも有名な、最後の晩餐です。イエスは、その食卓で、弟子たちに「取って食べなさい」と、自分の体を食べ物として差し出されたのです。
人間の常識ではとても理解できないことです。しかし、差し出されたイエスの体、そして、その体であるパンを私たちが食べるということはどういう意味なのでしょうか。
「体」は、イエスの命、生き方、全生涯を表わします。そして、「食べる」という言葉には、イエスを思い起こすと同時に、その生涯をよく噛んで味わうという意味がこめられているのです。イエスを食べる、それは、イエスこそ、イエスの生涯の生き方こそ、私たちを内から生かす「真の食べ物」、私たちのための命だということなのです。
私たちは、1人ひとり、ミサ聖祭でいただく御聖体によって、キリストの命に与り、キリストのように、他の人に自分を差し出していける者になるように招かれています。そして、共にミサ聖祭を祝うすべての人々が1つになり、この世界が、キリストの体、キリストの愛と命の共同体へと変えられていくようにというキリストの願い、祈りに生かされているのです。