それから3週間後、私たちは周がダウン症であると告げられました。その時のことを書いたのが次の詩です。
天の賜物
小児科の医師は
私達の前で一枚の紙を
引っくり返し
周の染色体の写真を、見せた
「正常よりも、一本多いです」
ふたりで溢れる涙を流した、翌朝
僕は恩師に、電話した
「その一本の染色体に
神の息吹がこもっています」
「これから僕と嫁さんで
周が天から授かった
たった一つの賜物を、探します」
携帯電話のスイッチを押した後
(周の命そのものを信じよう・・)という
今までとは何かが違う
不思議な歓びが、胸の内に広がった
私は天を仰ぎ、〈ありのままの息子を確かにこの両手に受け取りました〉と心の底から叫びました。そして、自分の胸の奥から新たな希望の芽が出たことを、強く感じたのでした。
あれから歳月は流れ、周はまだ話すことも歩くこともできず、私と妻は手となり足となり育んでいますが、パパとママの間でそれは嬉しそうに微笑む周の存在が、かけがえのない幾つもの出逢いや出来事を運んでくれる不思議を感じています。最近、育児に目覚めた私は今日もこれから、保育園にいる我が子を迎えに行ってきます。