この新鮮な命は、私の場合はミサでのご聖体で、もし、この「いただく命」が無ければ、私はたちまち枯れ果ててしまうでしょう。
私の命が輝いている事例を色々考えると、そのときの心の状況は、日々、行動が明確で人生に希望があり、友人、知人等の人間関係も豊かでした。親密で暖かい愛情が身辺に漂い、その折々の意志と自律性が正確に作用していましたが、心が何となく枯れて、命が輝いていない事例を回想すると、周囲の人々との人間関係が不信感、疑惑、罪悪感、孤立感、停滞感で充満していたようです。
人生の流れは非常に神秘的なものがあり、一概に断定は出来ませんが、心理学的に考えていくと「いただいている命を感謝していない時期」は、ほぼ混乱していたようです。
聖書に「人の身体は神の神殿」とあります。思想、宗教、文化、人種の違いからの民族闘争、戦争、国際政治上の争いがありましても、人の身体は神の神殿なのです。愛そのものである全知全能の神様が存在しておられる以上、その闘争や意見の違いを、人の身体は神の神殿という視点から冷静に思索する必要があるようです。