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いただく命

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

よく耳にする「命は神様からの授かりもの」という、このお決まり文句に、文句を言ったり、反発する人はいません。だれもが、深くうなずき、納得の表情です。普通、「神様」という言葉を耳にすると、一瞬、"軽々しく信じてはいけないゾ"と警戒心をもって、構えますが、「命は、神様からの授かりもの」という、この常套句には、人々が、なんら抵抗なく、神の教えとして、すんなり受け入れるのは、人間の尊厳を守る上で、当然といえば、当然ですが、喜ばしく、尊いことだと思います。

この神様から賜った尊い命を、お互い大切にし、共に幸せに過ごしたいと、だれもが願っています。これについて、古代キリスト教の神学者、哲学者の聖アウグスチヌスも、著書の中で、「私たちは皆、幸せに生きたいと望んでいます。人間である以上、この主張に同意しない者はだれもいません。言い終わらない前に同意してしまうほどです」と、人間の幸福への強い願望を如実に物語っています。

このような人類の願望にもかかわらず、今日の世界の現状は、神から授かった尊い命が、幸せどころか、悲惨な事件、事故、戦争、天災、あるいは、個人の誤った狭い考えなどで、無残に失われつづけています。

「われわれは、不正に満ちた世界を作り出してしまった。第三世界における貧困、工業化された西欧諸国における失業と不平等は、われわれが神を拒み、神の霊にそむいたことの手厳しい結果に他ならない」とは、今は亡きバジル・ヒューム枢機卿の、「よりよき世界」と題するエッセーの中の一節ですが、嘆かわしい世界の現状に照らし、この言葉を共に深く省みたいものであります。