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自分らしく

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

私は母に似ておしゃべりである。母は世間話の名人といわれるほど、しゃべることが得意な人であった。しかし、おしゃべりではあったが、人の悪口などは一切いわなかった。人を楽しませるような面白いことをいってまわりの人を和ませた。

しかし、その母も晩年、脳梗塞で倒れ、スムーズにおしゃべりが出来なくなった。

その時、母は嘆き悲しんだかというと、そうではなく、天国へ行くにはこの世で犠牲を払わないといけないといって、死ぬまで「しゃべり断ち」を素直に受け入れた。

その姿は見事であった。

夫は、私が近所まで買い物に出かける背中に「美沙子、あちこちでしゃべらんと、まっすぐ家に帰って来いや」と声をかけてくる。

スーパーへ行っても郵便局へ行っても知り合いが多く、何やかやと声をかけられ、時には夫の言葉を忘れ、おしゃべりに興じる。

夫は「美沙子がしゃべらなくなったら病気やな。まあ、しゃべっているのは元気な証拠やな」となかば諦めてくれている。

2年数ヶ月前、大腸ガンの手術をしてから、数ヶ月に一度の割合で口内炎と舌炎になり、その時にはしゃべれなくて、夫や息子とも筆談になる。免疫力のおとろえが一番の原因のようである。そんな時は「ひょっとしたら舌ガンかもしれない」と不安になるが、2週間ほどすると治るので、ガンではない。

それの繰り返しなので、しゃべれない時には晩年の母のように、無言の犠牲を払っていると思って、心の中でイエズス・マリア・ヨゼフさまとおしゃべりすることにしている。

凡人の私は、今のところ、そんな小さな犠牲しか払えないが、いづれ、大きな犠牲を神さまに与えられる時の予行演習と思っている。