その姿は見事であった。
夫は、私が近所まで買い物に出かける背中に「美沙子、あちこちでしゃべらんと、まっすぐ家に帰って来いや」と声をかけてくる。
スーパーへ行っても郵便局へ行っても知り合いが多く、何やかやと声をかけられ、時には夫の言葉を忘れ、おしゃべりに興じる。
夫は「美沙子がしゃべらなくなったら病気やな。まあ、しゃべっているのは元気な証拠やな」となかば諦めてくれている。
2年数ヶ月前、大腸ガンの手術をしてから、数ヶ月に一度の割合で口内炎と舌炎になり、その時にはしゃべれなくて、夫や息子とも筆談になる。免疫力のおとろえが一番の原因のようである。そんな時は「ひょっとしたら舌ガンかもしれない」と不安になるが、2週間ほどすると治るので、ガンではない。
それの繰り返しなので、しゃべれない時には晩年の母のように、無言の犠牲を払っていると思って、心の中でイエズス・マリア・ヨゼフさまとおしゃべりすることにしている。
凡人の私は、今のところ、そんな小さな犠牲しか払えないが、いづれ、大きな犠牲を神さまに与えられる時の予行演習と思っている。