右近の生涯は、一見、権力者の犠牲になったように見えますが、そうではありません。身分や出世という「地上の宝」を捨て「天の宝」を選び続けたのです。キリストが弱い立場の人を命がけで愛したように、右近も貧しい人の葬儀で棺を担いだこともありました。
彼の行いは、神が人を分け隔てなく愛する方だと伝えました。
さて、私たちは日々、神に喜ばれる生き方をしているでしょうか。教師、芸術家、母親など自分の立場で天の宝を選んでいるでしょうか。「今なお人に気に入られようとしているのなら、わたしはキリストの弟子ではありません」(ガラテヤ1・10)と聖書に書かれています。
たとえば、学校帰りの子供がクラスメイトに悪口をメールで送ろうと仲間と相談していたらどうでしょう。「それはいじめだから、してはいけないよ」と注意するでしょうか。人目を気にして知らないふりをするでしょうか。もし、私たちが批判されたり笑われたりするのを恐れず天の宝を選ぶなら、誰かを助けることになります。
日々、自分らしく神の望みを果たしていきたいものです。