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始め善ければ ・・・

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

私たちの多くは、「終わりよければすべてよし」というタイプで、目に見える結果を大事にする。だが、聖書に描かれている神の姿はまったく反対だ。

最初の動機がよくて、気持ちがこもっていれば「良し」とする。つまり、「始め善ければ終わりよし」。まるで母の日に子供から絵をプレゼントされて喜ぶ親のようだ。たとえハチャメチャな絵でもお母さんは嬉しくてたまらない。額に入れて居間に飾り、かわいい子供の気持ちを思って幸せになる。

このような神さまの姿は、新約聖書の随所に現れている。たとえば、ルカ福音7章(36~50)には、イエスが招かれて、ある家に食事に出かけたエピソードがある。その国では客が来ると足を洗う水を出し、香油を頭に塗るのが礼儀だ。また、接吻して歓迎の意を表す。ところが主人はこれをしなかった。そこへ「罪深い女」と評判の人が現れてイエスの足下にひれ伏し涙した。彼女は涙で濡れたイエスの足を髪の毛でぬぐい、接吻し、持ってきた香油を塗った。それを見た主人は、イエスが女性の気が済むようにさせているのを不審に思った。イエスは主人の思いを見抜き、こう言う。「あなたはわたしに足を洗う水をくれなかったが、この人は涙で私の足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入ってきてから接吻してやまなかった」と。イエスは女性の突飛なやり方を気にしていない。そんなことよりも彼女の気持ちを全く善いものとして受けとめている。

神さまはこのような方だ。人間がよい動機で始めるなら、失敗しても、多少へんてこりんな結果でも喜んでくれる方だ。