さて、初めは良かったとして、私達夫婦も「終わり善し」の方へ焦点を合わせて行かなければなりません。
なるべく家族へも、世の中のお世話になっている人々へも、無理や負担をおかけせずに、身軽にみまかりたいので、そのためにするべき事があれば、今のうちからボチボチ始めたいと思っています。そうすれば、まずまず元気で逝けるかも知れません。
ところで、社会人として私達はそれぞれ、終わりの務めを果たさなければなりませんが、私自身、また妻もともにキリスト者ですので、終わりは神のみ許へ行きたいのです。そのためには、果たすべき事がもう1つ残っています。
新約聖書のうち、最後の書である「ヨハネの黙示録」には、こう記されています。「あなたは私の名のためによく忍耐したが、初めのころの愛から離れてしまった。悔い改めて立ち戻りなさい」と。(参:2・3~5)
神へのこの愛、この立ち戻りこそは、聖書全体を通して私達に向けられていた、神の、私達への痛切な愛から迸る思いへの、最後の応えなのです。