平均寿命をとうに越えて、ひと月前、お風呂で転倒、骨折するまでは身の回りのことすべて自力でこなし(というよりは人の手を借りることを嫌がり)、もの忘れはひどくなったものの認知症とまではいかず、あい変わらず向こうっ気が強く言いたい放題、曲がったことやウソは大嫌い、人の思惑など無視して喋るので、こちらは傷つくことも多かった・・・そんな母です。
大正うまれの近代合理主義者、その母が10年ほど前、テレビと一緒に転倒して肋骨7本折った際に、緊急洗礼を受けました。
天国行きの切符を手にした母は天国ドロボー?
いまやベッドでうつらうつらと夢のなかにたゆたう母は、地上でのいのちを神さまにお返しする時を待つばかり・・とても静かです。
主キリストの過ぎ越の神秘によってわたし達は神の子とされ、永遠のいのちに導かれると信じていても、やはり地上での別れはつらく、心を引き裂かれます。
そんな弱いわたしを神さまはゆるしてくださる・・・かなしみのなかでしかわからない、愛。かなしみは愛の湧き出る泉。
そうして思います。
突然の、思いもかけない災害で、あるいは不慮の事故で、心の準備をするいとまも、否も応もなく奪いとられた愛する人達のいのちを。
人生最後の旅立ちに寄り添うことは、最高の学びであり祈りでもあるのですね。