クリスマスの物語には、清貧とは逆に物欲に取り憑かれた男も登場します。当時の権力者ヘロデ王です。ユダヤの王となる子が誕生したことを東方の博士たちから聞くと、その周辺一帯にいた2歳以下の男の子を皆殺しにさせました。欲望に心がさいなまれていた彼は、自分の富や権力を失うことを恐れたのです。
一方、キリストのお生まれになった場所は、街はずれの粗末でつつましい馬小屋でした。しかし、そこには、その貧しさを甘んじて受け入れる若い夫婦がいたのです。とは言え、心優しいヨセフは、愛する妻のマリアにこんな場所で出産させることを心苦しく思ったでしょう。頼もしい夫が傍らにいるとはいえ、年若い妻も、必要なものさえないところで子どもを生むことへの不安がなかったはずはありません。
しかし、2人は不平や不満を表すことはありませんでした。神様のお望みどおりにすることが、一番良いことだとわかっていたのです。
日本の教会でも、クリスマスには、馬小屋の聖家族の像を目にすることができます。
「神様あなたは、なぜ、このようにして生まれることを望まれたのですか」と尋ねながら、赤ちゃんの顔をじっとながめてみてください。
あの貧しい何もないような馬小屋には、現代の私達にまで届くほどの愛と喜びがあふれていたことをきっと感じることでしょう。