一方、カウンター席には若者がひとり座ってラーメンを注文していた。よく来る顔なじみの客なのだろう。マスターが「おまえ、貯金もっているか」と尋ねると、「もっていたけど使った」と言う。「いくら貯めたんだ?」というと「5百万」と答えた。マスターはあきれて「5百万も何に使った?車か?」と聞いていた。若者は、「ばあちゃんが病気になって使った」とぽつんと答えた。
彼は人間の命の尊さを知っていた。
私はもう少しで泣いてしまうところだった。私は自分の人生を振り返り、ここ10数年は、「与えるばかり」だったと嘆いていた。自分の老後を視野に入れず無謀なことをしたと後悔もした。
この若者が貯めた5百万は容易なことではなかったはずだ。けれども、「ばあちゃんが病気になって使った」の一言で私の気持ちは報われたように思った。
老人になると今まで気づかなかったことを悟るということもあるだろうが、ひとり暮らしで独身の私が老いて病気になり、人の顔の判別もつかなくなってしまった時にはどうなるのだろうと心配にもなっていた。しかし、この若者と席が近くだった私は、自分が持っているものを与えさせてもらったことに、もう後悔はない。
神様に、このような若者と出会えたことを感謝する。彼は病気の祖母の命に賭けた。祖母の命に全財産を使い果たした若者の与えた真の愛を私は心に刻むつもりだ。