日本での作家の登竜門は、芥川賞と言われています。夫の新井満が最初、候補になったときは、大変驚きました。この賞は、選考委員が文学雑誌に発表された作品を選んで候補にするのです。
1度目の時は、勤務先で結果を待ちました。
2度目の時は、友人と居酒屋で酒を飲みながら待ちました。
3度目の時、スポーツ紙の下馬評で本命と言われました。
夫も期待したようです。その瞬間の写真を撮ろうと、新聞記者が押し寄せてくることを予想しました。そこで、懇意にしていた岩波ホールで映画を見ながら結果を待つことにしたのです。ところが、結果が出ないまま映画は終わってしまいました。ホールの応接室には、記者が何十人も詰めかけています。結果は落選でした。ホールの人々が用意してくれたバラの花束もシャンパンも無駄になったのです。夫はテレビの前で、朗報を待っている、ふるさと新潟の母を思いました。文具店と助産師をしながら、大学まで出してくれた母です。失意のあまり、すぐにペンを執る気になりませんでした。
しかし、再びペンを執る気になったのは、「おふくろを喜ばせたい」という強い気持ちからでした。夫が4度目の候補で芥川賞をとることができたのは、母親のおかげだと私は思っています。