30年間、大工の息子として生活し、わずか3年間だけ、神の国について人々に述べ伝えました。この方を、旧約聖書で預言されているメシアだと信じたのはわずかな人で、彼を邪魔だと考えた宗教家に捕らえられて苦しめられ、十字架にかかりました。十字架刑はあまりにも残酷な極刑だったため、人々はその話題を避ける程だったと言います。多くの罪びとの一人に数えられ、墓に葬られたその方が私たちの救い主イエス・キリストです。
この方がなぜ救い主なのでしょうか。それは、人間のどん底を味わった方だからです。人間のあらゆる悲惨さを身に受けて、罪の醜さに苦しめられたその方は、ただ人間を愛するがゆえに汚辱の真っただ中に飛び込み、殺されるのもかまわずに私たちを助けようとされたのです。そして、人が自分に犯した罪のすべてを許し、まるで何もなかったかのように今もなお愛し続けているのです。十字架刑という最も暗い所に降りてくださった神は、人の手を優しくとり、光の方へ導いてくださいます。
洗礼とは、死から命に移ることです。つまり、イエスがなさったような生き方を、イエスに尋ねながらやってみようとすることです。それが新しい命、新しい生き方です。