洗礼は人間が作りあげた単なる儀式ではありません。目に見えない神が確かにその場におられ、力を注いでおられるからです。それを見える「形」にしたものなのです。洗礼は、一度受けると永遠に取り消されることがありません。神が私たちを永遠に愛しておられるからです。
さて、洗礼を受けた後も私たちは、自己中心になることがありますが、神と結ばれた後は、弱さを自覚し、なおいっそう神に信頼するチャンスに変わっていきます。罪は避けなくてはいけませんが、間違いを犯してしまったら、幼子のように神のもとに走り「ごめんなさい、お父さん」と腕に飛び込みます。すると神さまがどれほど優しい方で、私たちがどんなに愛され、許されているかを体験します。
そのような慈しみでいっぱいの神さまに助けられているうちに、私たちは、人間は誰もが弱いことを学び、やがて慈しみをもてるようになります。少しずつ他人を裁く力が弱まり、許す力が強くなっていくのです。それこそが「新しいいのち」を注がれた印です。