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新しいいのち

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

カトリック教会では、洗礼を受けると、それまでに犯した罪がすべて神に許され、新たな命を受けると信じます。自己中心で、人を傷つけても気に留めない「古い自分」は死に、イエス・キリストに結ばれた「新しい自分」に生まれ変わるのです。

イエスの時代、洗礼はヨルダン川で授けられました。頭からすっぽりと全身を川に沈めることによって、古い自分は「死」に、そして川から立ち上がる時、全く別の「新しいいのち」を注がれて生まれ変わるのです。現在は、司祭が「父と子と聖霊の名によってあなたに洗礼を授けます」と言いながら、額に水を3回注ぎます。

洗礼は人間が作りあげた単なる儀式ではありません。目に見えない神が確かにその場におられ、力を注いでおられるからです。それを見える「形」にしたものなのです。洗礼は、一度受けると永遠に取り消されることがありません。神が私たちを永遠に愛しておられるからです。

さて、洗礼を受けた後も私たちは、自己中心になることがありますが、神と結ばれた後は、弱さを自覚し、なおいっそう神に信頼するチャンスに変わっていきます。罪は避けなくてはいけませんが、間違いを犯してしまったら、幼子のように神のもとに走り「ごめんなさい、お父さん」と腕に飛び込みます。すると神さまがどれほど優しい方で、私たちがどんなに愛され、許されているかを体験します。

そのような慈しみでいっぱいの神さまに助けられているうちに、私たちは、人間は誰もが弱いことを学び、やがて慈しみをもてるようになります。少しずつ他人を裁く力が弱まり、許す力が強くなっていくのです。それこそが「新しいいのち」を注がれた印です。