「新しいいのち」という言葉に触れた時、何故か数年前に旅をした熊野の那智の滝を想い出しました。初めてその滝を見た時、高校時代に受けた洗礼式を想い出したのです。「信じてこそ初めて見えてくる世界がある」事を知りました。
洗礼をうけても現実はそう変わらないと数年は感じていましたが、社会に入り世界各地を旅して、南米の軍事政権時代の機関銃争乱とか、モスクワの飛行機事故とかを体験していく内に身辺の現象の解釈が洗礼を受ける前と後では相当激変した自分に気付きだします。
那智の滝を見て、そのしぶきを感じると、何故か私の心のモヤモヤが綺麗に流され、清々しい気分になりました。日本人の深層心理の中にある「汚れと禊」が那智の滝を目の前にして、私の心を洗い流したのでしょう。
そればかりでなく洗礼を受けた後の私には新しいいのちが働いているようです。洗礼をうけた後の私には何か新しい生命体というか聖霊というか、そういう聖なるものがいつも身辺に漂っているようです。
「人の身体は神の神殿」と言われている人間ですから自分の中に暖かい希望の星である全知全能の神様を信じると、テロや大災害が日々襲うこの地球ですが、希望の神様を信じることで、そこに新しいいのち、希望が見えてくるようです。