「さなぎって、かわいくないんだね」
これが正直な印象でした。それから日が経って、ある日曜日、家族で茶の間で過ごしていると、右手の甲の辺りにフワリと何かが触りました。ビロードのようでもあり、レースのようでもある、柔らかくて薄い何かでした。不思議に思って左手で探っていると、気付いた母が、「それ、蝶々」といいました。モンシロチョウが入ってきて、私の周りをフワフワ飛んでいたのでした。
蝶々と聞いて突然、あのさなぎの恐ろしい手触りを思い出しました。
「この前、ベランダにさなぎがいたでしょう。たぶんあれは、蝶々のさなぎだと思うわ。この蝶かもね」
私の心を覗いたかのように母がいうのでした。
きれいな蝶は、子供に触られ、においを嗅がれ、怖がられたさなぎ時代のことを思い出したりするのでしょうか。昆虫の記憶のことは分かりませんが、ひとつ思ったのは、この蝶はさなぎ時代の動かない姿勢をさっぱり卒業し、いまや飛ぶ生活を始めているのだということでした。自分の姿が変わったことをものともせずに。
人生のなかで大きな経験をすると、私たちも蝶のように、ある段階をガラリと打ち捨てて前に進むことがあります。それは、新しい命といえるでしょう。変わる勇気があれば、新しい命はそこにあるのだと思います。