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いつくしみの特別聖年

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

ローマ教皇フランシスコは、あるミサの説教の中で福音とは何かに触れ、「それは、いつくしみに満ちたまなざしでわたしたちを見守って下さる、神のやさしさに他なりません」と語った。イエス・キリストが誕生から十字架、復活に到る全生涯を通して伝えた福音を一言で要約すれば、それは「神のやさしさ」なのだ。

そのやさしさは、子どもを見つめる親のまなざしに込められたやさしさだと言っていいだろう。わたしたちは誰もが大切な「神の子」であり、神は子どもであるわたしたち一人ひとりを限りなくやさしいまなざしで見守って下さっている。それは、まったく無条件のやさしさだ。わたしたちが世間的に優れているからとか、神の期待通りに行動するいい子だからとか、そのような理由でやさしくするのではない。わたしたちが何もできなかったとしても、いつも失敗ばかりだったとしても、わたしたちが「神の子」である限り、わたしたちがわたしたちである限り、どんなときでもやさしく見守って下さる。神は、そのような方なのだ。

それほどまでにやさしく、いつくしみ深い神を、悲しませるようなことがあってはならない。神が一番悲しまれるのは、大切な子どもであるわたしたちが、兄弟姉妹や自分自身を傷つけることだ。「わたしは神の言うことをよく聞くから、お前より優れている」と言って誰かを傷つけたり、「わたしはいつも失敗ばかりだから、もうだめだ」と言って自分自身を傷つけたりするとき、神は深く悲しまれる。限りなくやさしい神を悲しませないために、兄弟姉妹をやさしく受け入れ、自分自身をやさしく受け入れることを心がけたい。

やさしさを生きることによってのみ、わたしたちは神に似た者となり、神を喜ばせることができるのだ。