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いつくしみの特別聖年

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

ローマ法王フランシスコは、「慈しみの特別聖年」の勅書で、慈しみを実践する具体的な方法を示しておられます。バチカン放送のホームページによると

[巡礼を行なうこと、人を裁かず、赦し、与えること、社会において疎外された弱い人々に心を開くこと、精神的・物質的ないつくしみの業を行なうこと]などだそうです。

これらはもちろん、基本として実践を心がける事項なのですが、実はもう一つ、私が注目したメッセージがあります。それは、法王が諸宗教の対話を呼びかけられたことです。私にはこれが、世界を慈しみ溢れる場所にする大きなカギの一つであるように思えました。

神が人を愛されたこと、イエスの誕生によって私たちの罪が赦されたことを説くキリスト教の信仰は、多くの人に救いをもたらし、生きる原動力を与えています。私もそれを経験している一人です。

一方で、歴史の中では宗教の大義によって戦争が行われたり、弾圧が行われたりする可能性は常に存在します。そのような衝突のなかで有効になってくるのが、対話だと思うのです。

ある人が「君の立場になれば君が正しい、僕の立場になれば僕が正しい」と言ったそうです。それぞれに正しさがある場合、まずその事実を認め合うのが対話の始まりかもしれません。アシジの聖フランシスコが祈ったように、「理解されることより理解すること」を望むということなのでしょう。

さらに、そうするには、相手を愛し、相手の抱える問題を哀れむ慈しみの心が必要なのではないでしょうか。だから諸宗教対話の呼びかけには、慈しみの精神がこもっていると思えるのです。

"自分らしさ"という言葉がはんらんしている現代こそ、対話を通した慈しみの実践を、いま一度考えてみても良いかもしれません。