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勇気を持って歩む

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

恥ずかしい青春の想い出なのですが、どう考えても、あの時の「勇気」こそ私の長い人生の中での最大の勇気ある決断でした。海外での暴動や飛行機事故を乗り越えた勇気など足元にも及びません。

その勇気とは洗礼を受けた時の話です。

私が小学3年生の時、第二次世界大戦が終わり、神奈川県葉山町から新潟県の山深い父親の郷里に逃げて行きました。戦犯の家族でしたので、父親の故郷とは申せ「戦犯の息子め」と、私は大人からも同級生からも石を投げられ血だらけで帰宅したものです。そんな村を避けて大きな町に引っ越し、地方では有名な高校に進学した頃、洗礼を受けます。

その洗礼を受ける時の勇気は、私の人生での最大の決断と勇気だったなあ、と今、しみじみ思います。ドイツの神父さんの教育方法にも深く関係していたと思いますが「清水の舞台から飛び降りるような勇気」が必要でした。

何故かといいますと、戦犯の息子だと言われて私に石をぶつけた田舎の小学、中学時代の学友が数名、その高校に進学してきたので、柔道部に居た私は、その数名の学友に復讐をしていたのです。橋の下、誰もいない野原で、毎日、喧嘩をうっては憂さ晴らしの日々、そんな折、洗礼を受けるのですが、そのドイツの神父さんから「もう復讐は駄目、その憎たらしい学友を愛しなさい」と云われたのです。

大好きになっていたカトリックの神様を選ぶか、楽しい喧嘩を捨てるか、その決断は、私にとり大きな選択でした。

洗礼を受け、ミサで御聖体をいただけるようになると私の精神衛生は明るく元気に爽やかになり、どんな困難に遭遇しても、これは幸福への試練だと解釈出来るようになり、あの時の、勇気を持って洗礼に漕ぎ着けさせて下さった不思議な神様に感謝しています。