カトリック教会では、祝日のミサ中に、「われら主を拝み、主を崇め、主の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる」と唱えますが "崇める"とは、現在、日常生活の中ではあ...
カトリック教会では、祝日のミサ中に、「われら主を拝み、主を崇め、主の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる」と唱えますが "崇める"とは、現在、日常生活の中ではあ...
あがめる、という言葉について、よくよく考えてみました。めったに使わない言葉ですが、最上級の尊敬がこもっていることだけは確かです。でも、どのようにでしょうか。私の...
私たちは、偉い人だとか、逆にひどい人だと「レッテルを貼る」ことで現状の自分を肯定 し、安心したいという欲望を持っているのではないかと思います。マザー・テレサは、...
主イエスが復活された朝、聖書に登場する女性たちは、空っぽの墓の前で「あの方はここにおられない」と告げられました。主イエスを死者の中に探してもおられないということ...
ある日の午後、父は谷川に投網をもって魚を捕りに行った。夕方、玄関にたどり着いた父はびしょぬれで、滴がポタポタとたれていた。「九死に一生を得た」という父は呆然と立...
今日は聖金曜日。今日からの3日間は特にカトリック信者にとって、キリスト様のご受難、ご死去を想い起こし、そしてご復活をお祝いする大切な期間です。ユダヤ人の大祭司た...
なぜ、神は人間に苦しみを与えるのだろうか。人間の苦しみには、一体どんな意味があるのか。その一つの答えは、苦しみを味わった人には、同じような苦しみを味わっている人...
「あなたの持っている最良のものを与えなさい。踏みつけられ、蹴飛ばされるでしょう。それでも与え続けなさい」というマザー・テレサの言葉があります。この切ない愛は、ま...
小学1年生の時、友だちと「北山原」という殉教地に行った。今は周囲に沢山の住宅が建っているが、当時は原っぱだった。「北山原」の中央に十字架があった。十字架には両手...
恥ずかしい青春の想い出なのですが、どう考えても、あの時の「勇気」こそ私の長い人生の中での最大の勇気ある決断でした。海外での暴動や飛行機事故を乗り越えた勇気など足...
勇気という二文字を私の手もとの国語辞典で調べると「ものおじせずに立ち向かう気力」とある。インドに於けるマザー・テレサ、ハイチに於けるシスター須藤昭子さん、・・・...
「勇気がある」とは、思い切って大胆な行動を取った人や、未知の領域に挑む冒険家に対する賞賛の言葉のようである。それが間違いだとは思わないが、本当にそれだけだろうか...
新婚旅行で長崎に行った時、私と妻は大浦天主堂の中で祈りのひと時を過ごしました。すでに身籠っていた妻は疲れてうたた寝をしており、立ち上がった私はマリア像の前でその...
困難や試練に直面したとき、根が臆病な私は、すぐに好きな聖書の言葉を思い出して、勇気を奮い起こし、「当たって砕けろ」の精神でぶつかってきました。その結果、大変だっ...
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とか「一か八か捨て身で事に当たる」など、人は悲愴な決意を持って行動する時、周囲からは「勇気ある行動だ」といって賞賛されます。自らの...
「じつはこの頃もの忘れがひどくなってね。脳のMRIというのを初めて体験したんですよ。結果は問題なしでしたけれど」と、Aさんが話したのは教会のあるグループのわかち...