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受難から復活へ

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

ある日の午後、父は谷川に投網をもって魚を捕りに行った。夕方、玄関にたどり着いた父はびしょぬれで、滴がポタポタとたれていた。「九死に一生を得た」という父は呆然と立ち尽くしていた。

父によると、腰まである長靴をはいて滝つぼの近くで網を打った。ところが、何かの拍子に足が滑り滝つぼに落ちてしまった。

腰までの長靴には水が入り、次第に父の体は沈んでいった。父はおぼれまいとして、あがけばあがくほどさらに沈んだ。父はとっさに長靴やカッパを脱ぎ捨てて、水底に足が着くまで深く深く潜った。息が苦しい中で水底に足が着くなり小さくうずくまった。水底をこん身の力を振り絞って大きく蹴って両手を上げて上昇した。途中から両手を水平に広げると光あふれる水面が近づき、一気に外界に出た。

ゆっくりと父の身に起ったことを思い返してみると、人生の教訓にも思える。「中途半端なところで浮上しようとあがくな。底まで沈んで、何倍にも増したエネルギーで浮上しろ」と。また、罪に死んで新しい人間となる洗礼とも似ている。

しかし、この出来事の核心は受難から復活へと過ぎ越していくことのように思える。父を束縛するすべてのものをはぎ取って沈んでいき、苦悶する死のような瞬間から、魂の叫びと共に体を槍のようにして水面を目指し、途中で両手を十字架の横木のようにすると、新しい世界によみがえった。

父は、キリスト教にも神仏にも何の興味も持たない人だった。そんな父に起ったこの出来事は、神様のほうから父を網で捕まえようとしてくださったような気がする。

それから父は1年足らずでがんになった。父は自らの意志で洗礼を受けて天に旅立った。父の死後、この体験のメモを見つけた。読み返す度に、神様は大胆なお方だと驚嘆する。