神父様はとてもご満足の様子でした。神父様と同じくらい、もしかするとそれ以上に、私はこの「大発見」を喜んだことを覚えています。遥かな過去のことですけれど。・・・それから神父様にお便りを書くときには、いつもこの「なつかしい神様」の呼び名を使っておりました。
「なつかしい御父、なつかしいイエズス様」、こうお呼びすると、御父にもイエズス様にも親しくお目にかかったことがあるような気持ちになるのです。気持ちだけではなく、ほんとうに、信仰において、毎日お目にかかっているのです。特に、ミサと聖体拝領のときに。
けれども、ホイヴェルス神父様があの独特の調子で「なつかしい神」とおっしゃるときには、神父様の内からあふれるような神様への愛と親しみが感じられるのでした。私もそうなりたい、と願ったことが思い出されます。
たしかに、神様は誰にとっても「なつかしい神」でおられます。
すべての思いを込めて「なつかしい」と申し上げられる神、あらゆるよい思い出は、神様の慈愛の賜物にほかなりませんから。