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なつかしい

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

呼び鈴を押して扉が開かれると、バタークッキーの甘く香ばしい匂いが奥の廊下の向こうから漂ってきて・・匂いの記憶って不思議なリアリティーがあるものですね。

学校帰りに制服のまま修道院に直行したのは、洗礼準備の個人授業を、シスターから受けるため、今おもうと何とぜいたくな時間だったでしょう。

あの日はめったにない東京ゆきの帰りみち、修道院通いで憶えのある行き先の路線バスが目にとまり、衝動的に乗り込んでしまったのです。

あの修道院は元の場所にあるだろうか・・・もしかしたら周りの風景がすっかり変わってわからなくなっているかもしれません。もう東京のあそこを離れて50年近く経っているのだから・・・と、バスを降りてからおぼつかない記憶をたぐりながら歩き出したのです。

高い鐘楼・・・木造の修道院のチョコレート色の壁、聖堂の屋根の十字架をまざまざと思い浮かべることができます。

焼きたてのクッキーの匂いも。

ある神父様のエッセイ、「わが召し出しの記」に、「戦後、生まれて初めてマドレーヌなる菓子を、宣教師の神父さんからご馳走になり、世にこんなにうまいものがあるかと魅了された。わが召し出しは、マドレーヌ出しである」とありました。愉しいエピソードですね。

わたしの場合、修道院の香りは「バタークッキーの匂い」です。

ところで、やっと見覚えのある狭い路地を抜けて、修道院の門が見える筈の突き当たりまで来たのに門がありません。門から玄関までの急な坂道は木立に囲まれていたのが裸になっています。修道院は消えて駐車場と化していました。

でもこれがきっかけで、都心から郊外に移転されたことを知り、なつかしいシスターとの再会を果たしたことでした。