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なつかしい

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

今から50年ほど前の私のなつかしい青春を聴いていただけますか? 1960年代のお話です。

夏休みになるとクラスメートは帰宅していきます。ロンドンで1人、下宿屋に残る私を「寂しかろうに」と同情して故郷に私を案内してくれた学友がいました。

驚いた事に到着した所は大きなお城でそこが彼の家でした。大学の研究室では地味な青年でしたが城持ちの貴族の息子だったわけです。

夕食になります。その美しく広い食堂は父君母君と妹君と私の総計5名。招待された私が楽しい話題を提供するのが普通ですが、私はコチコチ。こちらから相応しい話題を出せる社交術を持ちません。英語の力も駄目、そんな劣等感もあり最初はギクシャク。これではいけないと私も居直り、下手な英語を堂々とユーモアを込め、手ぶりを交えて、何とか食事も終わり挨拶をしてお別れします。学友とワインを飲んでいると、この美しく可愛らしい妹君も途中から参加、そしてドキリとする質問「兄から聞いたのですが、あなたの母君はあなたが高校生の時に若くして天国に召されたとか、明日早朝の乗馬の時に、どんな母上だったか、教えていただけます?」と云う内容でした。

この学友と妹君の今の母上は2番目のお母さんです。心理療法を勉強する我々に質問するお姫様、2番目のお母さんと色々あるようです。それから50年が過ぎた今、父君、2番目のお母さん、美しい妹さん、そして私の学友も全員、すでに天国に行ってしまいました。父君は日本軍と戦い、母君はアイルランドの暴動で、妹君は幸せな結婚生活の後、肺癌で、学友も肺癌で天国へ。

この「せつなく、なつかしい想い出」は人の一生と神様の愛と摂理の在り様について私の信仰生活に多くの知恵を与え続けてくれています。