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なつかしい

土屋 至

今日の心の糧イメージ

私の家族は、毎年夏と春の休みに父の「いなか」である伊豆の下田へ出かけた。両親はすぐに帰ってしまい、子どもたちは10日間くらい滞在した。その頃まだ伊豆急は開通していなかったので、伊東からバスで3時間くらいかけて下田へ行った。帰りは子どもたちだけで帰った。

一番のなつかしさをつくりだすのは、おばあちゃんだった。私たちを毎日どこかに連れて行ってくれて、またおいしい手料理を作ってもてなしてくれた。父やその兄弟たちの小さかったときの話や、おばあちゃん自身の話も、かずかず驚くようなエピソードがつまっていておもしろかった。

そして従兄弟たち。東京と横浜と伊豆の従兄弟たちは一緒になると全部で12人となった。特に伊豆にはかわいい女の子の従姉が3人いたので、一緒に海に泳ぎに行ったり、温泉に行ったり、花火をしたりというのがとても楽しみだった。彼女たちに淡い恋心を持っていたことがよけいになつかしさをそえている。

中学生になってから私はおじさんに頼んで、農家の仕事を手伝わせてほしいと申し出た。いろいろな仕事をしたなかで、山のスギやヒノキが伐採と植林の時期だったので、木のまわりを計ったり、下枝を切りそれを「しょいこ」に背負って運んだりしたことを思い出す。あのとき植林した森は五十年たって大きく育ったが、途中から手入れをできなくなって今は荒れているのが悲しい。

そして最後の日、おばあちゃんと従兄弟たちがみんな揃ってバス停まで見送ってくれた。バスの後ろの座席で見えなくなるまで手を振っていた。そして見えなくなるとたまらなく寂しさがこみ上げてきた。

「なつかしい」ということばは、ずいぶんと日本人独特の感慨が込められている日本的な表現という気がするが、どうであろうか。