私が中学生の頃、現役でこの世を去った先生や、高校生の頃、天に召された伯母をはじめとして、親しい人たちが亡くなる毎に命日と名前をリストに書き綴っているのです。5年前には、私の母もこのリストに書き加えられました。
久しぶりに物故者リストを開くと、本当になつかしい名前が並んでいます。これらの名前を眺めていると、その人のやさしい顔が浮かび、時には、声まで聞こえてくるように思えてきます。なつかしい思いに満たされると同時に、この世では会うことができない寂しい思いもこみあげてきます。
年々、天に召されていく人たちが増えていく中で、このリストの名前も年々増えていきます。時に、このことは仕方ないこととはいえ、大きな悲しみで私をつつんでしまいます。しかし、私はこのように考えることにしました。それは、日に日に、天国での私の応援団が増えて、いつも神さまの前で私のためにお祈りして助けてくれているのだ、と。
イエスは言います。「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」と。(ヨハネ3.16)
神のみもとにある、というなつかしい思いと確信は、永遠の命の希望へと確実につながっていくのです。