その上、神さまは人間の行く先々にまでおられて、いつ、どんな時にも、どんな場所ででも守ってくださるというのだから、幼いながら、大船に乗ったような気持ちになり、どんなに心強かったことか。
「父ちゃんや母ちゃんは、あがどんの見えるところしか守りきらんばってん、神さまはいつ、いかなる時でん、あがどんば守ってくれちょるけん、安心たいね。じゃけんさ、朝となく、昼となく、夜となく神さまに祈るとよ。祈ればさ、祈るほど、神さまはその願いばきき入れてくれるけんね。あがどんも祈れよ。祈りが一番!」と父母は教えてくれた。
あれから60年余りをも経て、私は毎日、幼児の時の自分の気持ちを忘れない。
道を歩く時も、胸につけている、イエズス・マリア・ヨゼフさまのメダイに手をあてて、「どうかお守りください」と祈る。体調が悪い時、駅の階段の上がり降りの時も「神さま、どうか、私の手をとって一緒に上がり降りしてくださいませ」と祈る。
祈ると不思議なもので、私の身体や足が軽くなり、スッスと上がり降りが出来る。
神さまはいつも一緒にいてくださって、願えば手を差し伸べてくださる。365日片時も離れず共にいてくださるのだ。