お母さんがどう答えたらよいか思案していると、その子は言いました。
「お母さん、僕達にはいつも神様がついていてくれるから、ひとりぼっちじゃないよ」
学校でそう習ったからかもしれませんが、素直に信じられるのは子どもの特別な賜物です。子供のような心があれば、神様を認め、神様と話をすることができます。
思い起こせば、私もそうでした。父母は神社に行けば賽銭を投げて手を合わせ、寺院に行けば仏像を拝む、ごく普通の日本人でした。当然、幼い私もそのまねをするのに抵抗はありません。家には小さいながらも神棚がありました。その神棚には「神さん」がいるのだと教えられれば疑いませんでした。時折父母がその前で手を合わせて拝む姿を見たり、供え物の食物や酒を代えたりするような時には、「神さん」って偉いんだなと思わざるを得ません。
両親から「そんなことをしたら天罰が下るぞ」とか「願いごとをしたらかなえられる」とかいうことは何度か聞かされたように思います。
ある嵐の日の夕方、仕事に行った両親が帰って来られなくなったのだと心配して、ひとり神棚に手を合わせていたことを覚えています。
幼い信仰心は、年齢を経るにつれて薄れていくことが多いようですが、幸い私はカトリックの神様と出会うことによって確信となりました。
神様は、いつも私たちと共にいてくださいます。それは、神様が私たちを愛しく思われるからです。