「心の貧しい人々は」というところに自分を当てはめてみる。
たとえば、「意見を言いたくても、話すことがゆるされない人々は、幸いである」と考え、結果は神様に任せる。
また、「お金に縁のない人々は、幸いである」と考え、お金持ちになる方法や成功するための秘訣などの、ハウツー本には決して目もくれず、図書館の地下書庫で待っている、作家が命を削るような思いをして書いた本を最後までゆっくりと読む。本を読んだら頭の中の本棚に納める。
ストレスというのは雑草の固まりだと思っている。雑草が心をかき乱そうと転がってきたら、私は静かに戸を閉めるだけだ。
しかし私はストレスとパッションは区別をしておきたい。
パッション、それは情熱と受難という意味である。パッションについては解消法はいらない。ストレスは自分の物差しではかるから生じるが、十字架はイエス・キリストの愛からのものである。私は十字架がどのようなものであっても、パッションをもって受け入れたい! 私は主イエスが示した十字架への愛については、両手で抱きしめていたいと心から願っている。