しばらく一つの事を祈り続けていると、気が付くことがあります。たとえば、起きた出来事に対する自分の考え方の癖などです。ものの見方が歪んでいると、問題ではないことを問題だと感じて勝手に傷つくことがあるのです。時にはこのような新しい気付きだけで苦しみから解放されることがあります。
攻撃的な言葉で批判されたと感じてストレスになっているとき、祈っていると心が変わり、ひょっとすると攻撃ではなく、私のことを真剣に心配してくれたのではないか、武骨な表現だけど、アドバイスだったのかもしれない、と思えたりするのです。心の目が開き新しい見方が出来たということでしょう。苦しみや違和感など自分の感覚に捕らわれ、自己に閉じこもってしまう状態と真反対のことです。
「祈り」は、神という他者に向かって心を開くことなので、自分から解放されていくのです。目には見えませんが、その絶大な効果によって、祈りは、確かに心に力を注ぐものだとわかります。また友人が私のために祈ってくれたので助けられた、と感謝が生まれます。そのうちにストレスは消えています。